ヨーロッパで根強い人気の喜劇作家マリヴォー。
このページでは、過去の上演写真を交えながら、マリヴォーの世界をご案内します。
フランスで古典再読の演目としてマリヴォーが急浮上したのは1973年、パトリス・シェローが『いさかい』を取り上げた新演出以来と思われますが、とりわけ84年から85年のシーズン中にはたっぷり1ダースのマリヴォー劇が上演され、いわゆるマリヴォー・ブームとなりました。
「繊細華麗な恋愛劇」とされてきた伝統的なマリヴォー観は大きく見直され、著名な演出家たちの新演出はフランスの劇界でも<演劇的事件>として扱われたのです。
今回上演する『偽りの打ち明け話』も、愛と金銭の相剋に人間の本性を見据える現代劇として、新たな演出意欲をそそっています。
この作品の初演(1737年)は新イタリア人劇団でしたが、以来300年近く『愛と偶然の戯れ』と並ぶマリヴォー劇の最高傑作として、国立劇場コメディー・フランセーズで定期的に上演されてきました。
1960年来日したジャン・ルイ・バロー、マドレーヌ・ルノーの名優カップルが、この作品を主要演目の一つとして上演したため、マリヴォー劇としては珍しく当時の日本でも知名度が上がったのです。
現代の日本では、劇団櫻花舎(咲良舎の前身)が1992年、渋谷ジァンジァンで「若者たちのマリヴォー」としてマリヴォー劇の舞台化に取り組み始めました。
第10弾まで連続公演し、その多くが本邦初訳・初演だったため注目を浴びました。その後は青山円形劇場や、シアターXなどで上演を続け、今日に至っています。
参考文献:『マリヴォー戯曲集』佐藤実枝編訳、早稲田大学出版部
それでは、マリヴォーの作品をご覧いただきましょう。
タイトルをクリックするとそれぞれの作品に飛びます。
伯爵夫人:とんでもない、男の人たちには何ひとつ不平なんかありませんわ、それに全然憎んでもおりません。ただ、ほんとうにかわいそうな種族! よく観察してみれば男性族って、憎らしいというより滑稽ですものね。
レリオ:私はね、誰かが素敵な女性をほめそやして彼女への愛を自慢するのを聞くと、まるで狂人がまむしをほめたたえて、まむしは魅力的だ、噛まれて幸せだと言ってるような気がする。
アルルカン:うへっ! 噛まれたらお陀仏ですな。
かつて恋人に裏切られ、二度と女とは付き合うまいと心に決めたレリオ。
男を滑稽な存在ときめつけ、恋など鼻であしらう美貌の伯爵夫人。
使用人たちの結婚話がきっかけで偶然顔を合わせるハメになり、互いの主張を高言しあうが、そんな二人にも恋は容赦なく襲いかかった!
前言取り消しは不可能、だが恋しさはつのるいっぽう!
度を失って右往左往する二人に、従僕アルルカンと侍女コロンビーヌの恋はちゃっかり先行、なんとしても主人たちの恋を実らせようと一計を案ずるが……
レリオ:ああ、奥さま、この通りです!
お分かりでしょうか? お返事がありませんね、ごもっとも、私もこういうおろかしい振舞いはすまいと、あなたにはずいぶん長いこと抵抗したんですが、これでは嫌われても当然でしたね。
伯爵夫人:(当惑して)いまは何もお尋ねにならないで。
あなたのお従姉妹さんの肖像画はお納め下さい。そして、ちょっと息をつかせて下さいな。
この作品は1722年新イタリア人劇団のために書かれたマリヴォー劇の第三作で、 5年後の1727年には同じ題名の作品をコメディー・フランセーズのために書き、特別のこだわりを示しています。
後者を区別するためにLa seconde(第二の)をつけて呼びますが、なぜそれ程こだわったのでしょうか?
台詞としての「恋愛蔑視」や「男性蔑視」論は、当時新イタリア人劇団などでも珍しくありませんでしたが、恋愛感情が自意識を〈不意打ち〉する過程を劇化するという発想はマリヴォー独特のもので、彼はこの作品で初めて識者の高い評価を得ました。
マリヴォー自身の言葉を借りれば;「私の同業者たちの作品では、恋愛はそれを取り巻くものとの葛藤だが、私の場合はもっぱら主人公自身との葛藤であり、最後が<幸せ>に終るにしても彼らにとっては<意に反する>ことなのだ」。
『恋の不意打ち』『恋の不意打ち その二』における主人公たちの行動や幕切れの台詞を見れば、突然恋愛感情に“不意打ち”された彼らの自意識が、いかに過酷な葛藤を経験したかが分かります。
大公:シルヴィヤの心をわたしに向けてくれれば、ほうびはそなたの望みのまま取らせよう。
フラミニヤ:あんな心の二つぐらい見事に御してみせましょう。このわたくしが計画したのです。わたくし、しつこいんです、女ですもの!
アルルカン:今から百年たったって、二人は変わらないんだ。
シルヴィヤ:もちろんよ。
トリヴラン:アルルカン殿、昼食の用意ができました。
アルルカン:(悲しげに)腹は空いてない。
フラミニヤ:(いかにも友達らしく)ぜひ召し上がって。あなたには必要よ。
領国内の娘との結婚を国法で義務づけられている或る大公が、狩りの途中農民の娘シルヴィヤに恋をしたが、彼女には相愛のアルルカンという許婚者があった。
二人は宮殿に拉致され、あらゆる快楽と名誉と物質的報酬を代償にこの恋を諦めるよう迫られるが頑として応じない。
そこで心理洞察の達人フラミニヤの登場となる。彼女の手管は一見ことごとく大公の利害に反するように見えたが……
アルルカン:何故きみはあらかじめ言わなかったんだい。おいらをつかまえて。恋人になっちゃうぞって?
フラミニヤ:あなたこそ、わたしの恋人になるんだって、おっしゃって?
1723年4月6日の初演以来、新イタリア人劇団のドル箱になっていたようですが、シルヴィア役のザネッタ・ベノッツイの死と共にしばらくは舞台に乗りませんでした。
20世紀前半の1934年、マドレーヌ・ルノーのシルヴィア役が当りを取り、コメディー・フランセーズのレパートリーに入ってからは、各時代の好みを反映して多様な演出が試みられるようになりました。
特に<サド侯爵の復権>が盛んだった時期には、この作品の<誘拐>という暴力的な設定に触発され、隔離、生体実験、死の制裁など、極端に<サド的な読み>が流行したこともあります。
その後80年代のジャン・リュック・ブテの演出では、幾何学的な舞台にロココ風衣装の人物を載せるという無時間的空間で、<政治>の本質にふれるテーマを浮かびあがらせています。
かつて劇作家ジャン・アヌイがこの作品を「優雅に美しく語られた犯罪物語」と評したように、作品自体に内蔵する衝撃は、権力に仕える侍女フラミニアが、愛し合う恋人たちを離反させてしまう「したたかな人間改造」にあるのでしょう。
王女:カスティリア王が望んでいるわたしとの縁組の件、お受けするも、拒絶するも、あなたの一存。この件に関するわたしの意向がどうということは申しません、あなたに察していただくことを願うばかり。
王女:罰してやる、わたしに恥辱をあたえたあの二人の裏切り者を。
身分を隠し諸国を遍歴する王子レリオは、バルセロナの王女に仕えて忠誠をつくし、王女に深く愛される。
レリオは王女との結婚を考えるが、他方かつて危難を救った美しい女性が忘れられない。
その女性もまた彼をひそかに慕っていた。
王女は帰国した親友オルタンスにレリオへの愛を告白、彼女も支援を約束するが、王女の相手はなんとオルタンスの慕うその人だった。
再会した二人に王女の激しい嫉妬、恋人たちに権力の脅威が迫る……。
王女:レリオ、あなたに不満を訴えるところでしたが、その誤りを悟りました。
1724年イタリア人劇団によって初演されたのちあまり顧みられず、今世紀に返り咲いた作品の一つです。
スペイン風冒険物語で当時流行の「マントと剣の物語」を取り上げながら、マリヴォー独自の悲喜劇的構成でまとめあげた野心作です。
現代フランスでは、著名な演出家アントワーヌ・ヴィテーズや、ダニエル・メスギッシュの新演出で注目をあびました。
伯爵夫人:でも、結局のところ、あなた御自身は私を愛していらっしゃるの?
騎士(パリの令嬢):はい、奥様、別に造作もないことですから。
トリヴラン:実は俺な、可愛い女に好かれたのよ。
アルルカン:凄えなあ! 若いのか?
トリヴラン:19か20ってとこかな。
アルルカン:べっぴんかい?
トリヴラン:かの女(ひと)は魅力的で可愛らしく、この俺様にふさわしいと知り給え。
アルルカン:うわっ、たまんねえなあ!
レリオは婚約者の伯爵夫人の館に、パリの舞踏会で知り合った美男の騎士を招待する。
レリオの下心は騎士に伯爵夫人を誘惑させてこの婚約を破談にし、最近現れた“より”有利な結婚相手に乗り換えようという腹だったが、その騎士こそ実は当の結婚相手の仮の姿で、彼女はレリオの行状を探ろうと男装してついてきたのだった。
彼女の変装を見破ってゆすりにかかる二人の下僕をまじえて、騙し合いの輪舞がはじまる……
伯爵夫人:あなた御自身が私をたぶらかした以上に酷いやり方を、私は存じません。
騎士:元気をお出しなさいな。たしかにあなたは楽しい希望を失った、けれどあれはもともとあなたのために良かれと思ってしたことです。
『贋の侍女』はマリヴォー劇の他のジャンルとは異なるユニークな作品です。
変装劇というロマネスクな手法ですがハッピー・エンドにはならず、主役の騎士は伯爵夫人と機知たっぷりに愛を語り、いわゆる「恋の不意打ち」とは逆のケースです。
従僕トリブランの自伝的長台詞も破格で、「フィガロの結婚」(ボーマルシェ)の有名なモノローグの先取りと言われます。
著名な演出家パトリス・シェローはこの役の無頼な雰囲気を映画スター、ミッシェル・ピコリに委ね、おびえた小鳥のような伯爵夫人役はジェーン・バーキンの病的感性に重ねました。
もう一つの特徴は<異性装劇>の豊かな演劇性で、初演当時から女優のザネッタ・ベノッツイの男装の人気が成功要因になりましたが、20世紀でもこれはアントワーヌ・ヴィテーズら超一流の演出家たちを魅了しています。
イフィクラット:この島で俺たち、一体どうなるんだろう?
アルルカン:やれやれ、みんな海でおぼれ死んだんですぜ。
イフィクラット:俺についてこい。ここから抜け出すためなら何でもやってみよう。もし逃げられなければ破滅だ。なんせここは奴隷島なんだからな。
ウーフロジーヌ:こんな話をじっと聞いていろとおっしゃるんですか?
クレアンチス:我慢するんですね、お嬢さん。これも身から出た錆ですから。
トリヴラン:さあさあ、少し気を静めなさい。
アテネの貴族と奴隷のそれぞれ二組の男女が、嵐に遭って難破し見知らぬ島に漂着すると、そこはなんと昔、主人の虐待に反抗して逃亡した奴隷たちの共和国……。
島長はすぐさま四人の主従に“役割交換”を命ずる。
貴族の名前と衣裳をもらって狂喜する奴隷たち、屈辱と怒りにふるえる貴族たち。
しかし、その島は監獄ではなく、人間性を矯め直す一種のクリニックだった。
彼らは果たして“制度の垢”をそぎ落として人間らしい感性を取り戻せるのだろうか?
トリヴラン:身分の違いは神が人間に課する試練なのです。これからは歓びあるのみ。
1725年、新イタリア人劇団が初演して大成功したユートピア劇です。
当時はいわゆる<ユートピアもの>が流行した時代で、英国でもスウィフトの『ガリヴァー旅行記』が出版されましたが、マリヴォーが目指したのは人間関係のユートピアでした。
奴隷アルルカンは疎外されて失っていた感性を、愛によって<制度>を乗り越えることで取り戻します。
20世紀末(1995年)には世界的に著名な演出家ジョルジョ・ストレーレルがミラノのピッコロ座で上演し、シェローの『いさかい』演出以来の事件と評されました。
侯爵夫人:私たち二人とも悲しい身の上、考え方も同じですわ。
騎士:友情が私たちには大きな救いになるでしょうね。
オルタンシウス:(傍白)夫人が再婚されれば私はお払い箱だろう。ひとつ抑えの効かなくなるような騒動を引き起こしてやろう。――あの方(騎士)ははじめ驚いて叫び声をあげられたそうです、それからこの件(侯爵夫人との結婚)をおことわりになったとか。
侯爵夫人:まあ、叫び声ですって、そんなもの押さえることだってできたはずよ、ひどく軽率で失礼なことじゃないかしら。
若く美しい侯爵夫人が熱愛する夫に先立たれ、悲しみのあまり生涯喪に服することを誓う。
いっぽう、隣人の騎士も父親の反対で恋人との仲を裂かれ、絶望から世を捨てようとしている。
それぞれが「失った人への変わらぬ愛」を誓う誠実な涙に共感し、感動した二人は急速に惹かれ合うが、彼らの愛は立場上友情を装うハメになる。
その偽りが誤解を生み、求婚者の伯爵が仕掛けた罠にはまって、二人は収拾のつかないジレンマに追い込まれていく……
リュバン:約束するからさ。軽いキスを一つ賭けようよ。
リゼット:私たちが結婚したら賭けるわ、だってそのときは賭けに負ければうれしいからさ。
『恋の不意打ち』同様、恋心と自意識の葛藤を描いていますが、プロットも背景も遥かにリアルで、同時代の社交界に生きた人間の意識を、適切に描いた稀な作品と言われています。
当然、サロン劇(18世紀フランスの社交界を中心に大流行した素人演劇)の人気レパートリーとなり、コメディー・フランセーズでも当時最大の上演回数を記録しました。
シルヴィヤ:あたしはね、あんたと同じようなお仕着せを着た人たちのお世辞に向く人間じゃないのよ。
ドラント:ということは、おれのこの姿が気に入らんというのか?
シルヴィヤ:いいえ、ブルギニョン、違うわ。恋だの愛だのって話は置いといて、いいお友達でいましょうよ。
ドラント:お前はなんたる愚か者だ!
アルルカン:そりゃまたどうしてでございます? あんなにさっそうと、格好よく登場致しましたのに?
ドラント:みっともない馬鹿なしゃべり方は致しませんと、あれほどおれに約束したくせに!
シルヴィヤの結婚相手ドラントが初めてやって来る日、彼女は見ず知らずの結婚相手が不安で仕方がない。
そこで、シルヴィヤは召使いのリゼットに、そしてリゼットはシルヴィヤに変装して、相手の人柄を観察することを思いつく。
そこへ偶然にも同じもくろみで召使いアルルカンと衣裳を交換したドラントが登場。
二組のカップルは互いに相手の身分を知らぬまま一目惚れしてしまうが…
アルルカン:お嬢さん、そう急くことはないって言われましたが、でもそれはお年寄りの勝手な言い分ですねえ。
リゼット:お待ちになるのがそんなに辛いなんて、信じられませんわ。
アルルカン:あなたはこの世の奇跡、あなたのひと目でぼくの愛が生まれ、ふた目でその愛は力を得、三度目の眼差しで成長した若者になったんです。
この作品は1730年1月23日、当時人気のあった新イタリア人劇団で初演され大成功を収めました。
その後、コメディー・フランセーズのレパートリーとして定着。
以来200年以上、観客に愛され続けてきたマリヴォーの代表作の一つです。
ここでは<変装>という喜劇の常套手段が二重に動員されて、外見と感情を<二重に>偽装し、それを段階的に剥ぎ取っていくことで極めて劇的な効果を生み出しています。
そして登場人物たちに、このフィクション抜きにしては到底味わえなかった強烈さで、<真実の愛>を発見させるのです。
日本でも2011年に、宝塚歌劇団の星組によって「めぐり会いは再び」として上演されました。
アルルカン:それから、一言も言わずに鍵穴越しにのぞきました…
ドラント:で、お前は伯爵夫人と騎士が部屋にいるのをみたのか?
ドラント:つまり、夫人は騎士の恋に答えているという訳か。
フロンタン:言わずと知れたこと! 最初に恋の溜息をついたのがどちらかも判りゃしないんでさ。まるで恋の二重唱ってやつで。
ドラント:(笑う)あっはっは!(傍白)死にそうだ、ぼくは!
若く美しい伯爵夫人はドラントから熱愛されながらも、遊び心から騎士ダミスと親しく交際し、ドラントを苦しめる。
騎士のもとの恋人、公爵夫人はドラントと組んで、ふられた同士で恋人になりすまし、伯爵夫人を慌てさせる。
それでも「自分の恋人はいづれ戻ってくる」と自信たっぷりの伯爵夫人だが、そうと知った公爵夫人は仕返しの手綱を一層ひきしめる。
主人につかえる召使い同士の三角関係もからんで、それぞれの恋のゆくえは……
騎士:こん恋は、おい流の恋じゃ、ああん! あん女(ひと)のおる限り終るこつはなか。
お前ん主人が女子(おなご)にどぎゃんもてるか、もそっと期待せんかい。
1733年、新イタリア人劇団によって初演。大成功を収めた作品です。
19世紀中頃から長いこと舞台にのりませんでしたが、1960年、多年のちりを払い新しい視点で読み直した演出家ジャン・ヴィラールの手でよみがえりました。
現代的なマリヴォーの魅力に溢れています。
レピーヌ:娘さん、俺に好かれるのがそんなに気に食わないのかい?
リゼット:そう。
レピーヌ:ほんのひと言で、大したことを言ってくれるね。いっとくが、あの二人は結婚することになるぜ。そうすりゃ、あんたも俺たちが一緒になりゃ便利だからって、気にならないもんかなあ!
リゼット:いっとくけど、あの二人は結婚しませんよ、この私が不承知だからね。うちの奥様は、さっきあんたがズバリいいあてたように、恋なんか軽蔑していらっしゃるの。
伯爵夫人:(叫んで)まあ! ほんと? 誰かほかに好きな方が?
侯爵:ええ、心から愛しています。
伯爵夫人:(微笑んで)そうじゃないかと、思っていましたのよ、侯爵様。
侯爵:何ですって! 誰のことかも分かっていらっしゃった?
伯爵夫人:いいえ、でも、それはあなたが教えて下さるでしょうから。
侯爵:誰だか、当ててくださると有難いんですがなあ!
侯爵は60万フランの遺産を相続したが、それにはやっかいな条件がついていた。
同じく故人の親戚にあたるオルタンスを妻に迎えるか、さもなければ遺産の3分の1の20万フランを彼女に分け与えよというのである。
しかし侯爵は伯爵夫人に思いを寄せており、オルタンスには恋人の騎士(シュバリエ)がいた。
侯爵もオルタンスも表向きは遺言による結婚を承諾し、相手から断られれば問題の20万フランを失わずに、“好きなひと”と結婚できると考える。
“先にこのお仕着せの結婚にノーといった方が負け”というおかしな心理戦が白熱。おまけに“内気な”侯爵には、“恋愛嫌い”の伯爵夫人に求婚するという大仕事が待っていた…。
侯爵:あなたは全然私を愛していないというではありませんか。それが私には不安でしてね。
オルタンス:今はまだ愛していませんが、そのうち、愛するようになりますわ。
この作品の原題は『Le Legs 遺贈』と呼ばれ、1736年6月11日コメディー・フランセーズで初演されました。
甘い恋など受け付けない伯爵夫人の理性には、侯爵の素朴な善意と合理主義が何より好ましいのですが、引っ込み思案で不器用な侯爵は恋ゆえにますます怖じ気づき、自虐的になっていきます。こんな行き違いを綿密な筆で描いたコミックな性格喜劇です。
マリヴォーの劇作品の多くは、当時パリで人気のあった新イタリア人劇団で初演され、興業成績もそちらの方が断然よかったのですが、この作品だけは稀な例外でした。
コメディー・フランセーズの人気レパートリーとして定着し、『愛と偶然の戯れ』につぐ上演回数を記録しました。
リュシドール:この人ですよ、あなたがあれほど好意を寄せられた花婿というのは。
彼はまた私のためにもパリで結婚させようっていう若くて美しい人の肖像画を持って来ましてね。
(彼は彼女に肖像画を見せる)まあちょっとこれを見てごらんなさい、どうお思いになります?
アンジェリック:(死にそうな様子でそれを押しのける)私には分かりません。
リゼット:ねえ旦那さま…あんたにはどっかで会わなかったかしら?
フロンタン:なんだと? この村ではまた、えらく馴れ馴れしい口をきくんだね?
リゼット:ごめん下さい、旦那さま、でもあなたはもしやパリで、私がお世話になっていたドルマン夫人という方の家においでになったことはありません?
富裕な商人の息子リュシドールは、新しく買い入れた土地を検分に来て急病になり、彼の城館の管理人の娘アンジェリックの手厚い看護で全快した。
二人はまだ愛の一言は口にせぬまま、互いに強く惹かれあう。
しかし莫大な遺産を相続しているリュシドールとしては、やはり彼女の愛が財産目当てではないという確信を得たかった。
そこで従僕フロンタンを金持ちの友人に仕立てて結婚相手として推薦し、ブレーズ親方の求婚も排除せぬまま、じっとアンジェリックの行動を見守る……
アルガント夫人:リゼットや、お前はこの方が娘にお会いになったとき、そこに居合わせたんでしょう? あの子が愛想よくお迎えしなかったというのは本当かい?
リゼット:いいえ、奥様、おもてなしが悪かったなんて、ちっとも気付きませんでしたわ。お嬢さまのような身持ちの正しい若い娘が、いわばあっという間に結婚させられてしまったらびっくりなさるのは当たり前、それだけのことですよ。
リュシドール:リゼットの言う通りです。わたしも同意見ですね。
1740年11月19日に新イタリア人劇団で初演され好評を得ましたが、その後劇団が衰退期に向かったため、マリヴォーの作品としてはここで上演された最後のものとなりました。
リュシドールがアンジェリックの愛を確信したいばかりに執拗に行う<試練>は、「残酷なマリヴォー」という視点をクローズ・アップしましたが、実際は莫大な財産を守らなければならない立場から、ひたすら<信頼できる人間>を求めて、人間の感情の真実性を探求しているのです。
この種の<試練>は細かく見ればきりがないほど、マリヴォーの作品にはしばしば見られるケースです。
試練の持つ残酷さと並んで、喜劇性が豊かなのもこの作品の特徴です。
リュシドールに勝手気ままに振り回され、利害だけで右往左往する脇役たちの台詞も、思いがけないコミックな効果を生んでいます。
王子:最初の浮気心、最初の不実が男性から発しているという説の真偽を見定めるためには、世界の開闢、社会の出発点に居合わせなくてはなりませんね? そこへ行こうというのですよ、これから。
エグレ:あらっ! あたしじゃないの。これがあたしの美しさ、これこそあたしよ。見てよ、アゾール、よく見てよ、あたしの魅力を。
愛の裏切りの根は果たして男女のいずれにあるかを実験的に知ろうと、ある王侯が生まれたばかりの男女四人の子供を社会から隔離し、四人別々に育てる。
18、9年たって、今日ははじめて成人した彼らが二人の異性と一人の同性に出会う日。
文明に汚染されていない彼らは果たしてエデンの園のユートピアを再現してくれるだろうか?
アゾール:ぼくの愛情、それはぼくのいのちだ。
エグレ:いのちだと言ったわ。どうしてこの人があたしと別れられる?
1744年、コメディー・フランセーズでの初演は失敗。
一度きりの上演で忘れられた作品でした。
ところが、1973年、当時29才のパトリス・シェローが作品の新演出で伝統的なマリヴォー観に革命の鉄槌を降り下ろし、パリ演劇界の話題をさらいました。
マリヴォー再読のきっかけを作った記念すべき作品です。
伝統的なマリヴォー劇は過度に洗練された恋愛心理劇でしたが、この晩年の作品では 恋愛の原点に凶暴なエゴを見ていたのです。
エラスト:ところでお前がみんなを楽しませてくれようって芝居、ほんとにおもしろいのかい?
メルラン:われわれクラスの才能は平凡とは縁がないんです。大成功か大失敗、その中間てことは決してありません。
メルラン:そのきれいなお手々をくださいな、お礼が言いたいから。
リゼット:(遮って)手はダメ!
コレット:わだしだって手ぐらいあんだから。
ブレーズ:リゼットさん、キスさせちゃなんねえ。
叔母アムラン夫人の経済的支援でアンジェリックと結婚できることになったエラストは、婚礼の余興として、夫人の好きな素人芝居の上演を従僕メルランに依頼する。
メルランは恋人のリゼット、小作人の息子ブレーズ、その許婚のコレットに彼自身も加わって、カップルの組み替えによる即興劇を試みるが、虚構と現実を区別できないブレーズが稽古をぶちこわし、花嫁の母アルガント夫人は余興そのものを滑稽として中止を命ずる。
おさまらないアムラン夫人は友人アラマントと図ってひと芝居打とうと計画し、「この結婚は取りやめる。甥のエラストは裕福なアラマントと結婚させる」と宣言、若いカップルは悲嘆に暮れ、アルガント夫人は事態の収拾に狂奔するが……
アルガント夫人:あなたの契約書にこの私がサイン! そんなことには決してなりません。私、あちらへまいりますもの。
アムラン夫人:(阻止して)契約書はあなたがいらっしゃらないと成立しません。(アラマントに)手を貸して頂戴、なんとしてもアルガント夫人を引き止めるのよ。
アラマント:しっかり! 私だって負けるもんですか。
その特異な内容からマリヴォーの遺言書ともいえる最晩年の一幕物で、生前に上演された記録はありません。
作品の前半は<二組の恋人同士の組み替えによる嫉妬のコメディー>を<地で演ずる>即興劇、後半は一転して企画者自身が彼らを観客として大芝居を打ち、当然大混乱を引き起こします。
舞台を稽古場や観客席に変える徹底した<演劇自体の演劇化>で、20世紀前半に書かれるピランデルロの『作者を探す6人の登場人物』とよく比較されます。
一見他愛ない内容と見えながら、作者のドラマツルギー、演技論から人間観まですべてを総括した観があり、アンドレ・バルザック、J・P・ヴァンサン、ジャック・ラサルら著名な演出家が手掛けています。
いかがでしたか?
これまでご紹介した作品は、こちらの書籍で読むことができますよ。
人の心の裏と表が複雑に織りなす<マリヴォーの恋の世界>! ぜひ、ご堪能ください。
贋の侍女
佐藤 実枝
変装の王子
井村 順一
うまくいった策略
鈴木 康司
愛と偶然の戯れ
鈴木 康司
奴隷島
佐藤 実枝
めんどうな遺産相続
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